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成功の法則=出来るまでやること 乾佛具店(高知) [仏壇店だより]

 乾佛具店の本店前には四国八十八ヵ所霊場第三十番札所安楽寺があり、乾佛具店は霊場巡りのお遍路さんにお遍路用品や佛具類を販売する店として、大正十年に乾梅吉商店として創業した。乾梅吉とは創業者の名前である。
 専門店として仏壇を扱い始めたのは二代目乾一重氏の代から。一重氏は高知商業を卒業後「世界中を見てみたい」という志を抱いて大阪の日本郵船に入社。六人兄弟の長男であり、入社後は高知に残してきた両親と兄弟のために仕送りを続けるという孝行息子でもあった。
 やがて一重氏は昭和十三年故郷高知に戻る。家業を継ぐためであったが、その時母が手渡してくれたものが、仕送りのお金。母は一重氏が送り続けてきた仕送りに手を付けることなく貯めていた。そして一重氏は大阪に出向き、そこで仏壇を仕入れる。乾佛具店の仏壇の扱いはここから始まった。一重氏の孝行の心と、息子の将来を考えた母の心が、乾佛具店の基礎を築いた。
 乾佛具店が大きく成長を始めるのは三代目乾啓泰氏の時代から。
 昭和五十五年には安芸店、昭和六十一年には土佐道路店、平成二年には高知市内の知寄町店をそれぞれオープン。そして平成十二年に中村店を、さらに今春一月十五日には室戸店をオープンさせ高知県内の販売ネットワークを充実させた。
 隣接県の愛媛県松山市にも平成六年に店舗をオープンさせ、平成九年には松山市内で二店舗目となる椿神社表参道店を開設。
 さらにこの松山市内の二店舗は平成十一年に松山本店(自社ビル)、松山椿店(移転による)として新オープンとなった。
 現社長の乾貴昭氏は昭和四十年生まれ。体こそ大きくないが、全身から闘志の漲りが伝わる好漢だ。その闘志は武道家としてのキャリアによるところも大きい。高知・明徳義塾高校時代には第二回全国高等学校空手道選抜大会(昭和五十七年度)において個人形の部門で優勝を遂げ、日本代表選手に選ばれるなど、空手部主将として活躍。そして首都圏の大学に進学し、卒業後は京都の佛具問屋で修行を積んだ。
 乾社長のモットーは「成功の法則=出来るまでやること」。この言葉は乾社長の人柄そのものでもある。そして「報告・連絡・相談(報連相)」という原則を大切にしている。
 お客様に対しては感動を与えるお店を目指している。それぞれのお客様にそれぞれのご事情があり、様々な来店がある。そのような千変万化の状況のなかで、お客様の立場を考えた接客が「感動」を与えることになる、と乾社長は語る。
 感動のひとつとなるのが、挨拶。取材時、お店に入った瞬間にそのお店の状態までが分かるような気になるのが挨拶。乾佛具店は「心から気持ちを込めて最高の挨拶を徹底させています」という乾社長の言葉通り、取材で訪れた本社事務所は明るい気持ちの込った挨拶の声で活気がある。
 社員とのコミュニケーションは「報連相」と「ディープコミュニケーション」の中で行っている。乾社長の言葉を借りれば「この規模だから社員のことは全て把握してなくては」ということになる。その「報連相」と「ディープコミュニケーション」があるからこそ、社員からの積極的な行動も生まれてくる。
 勇将の下に弱卒なし、という言葉があるが、乾佛具店にはこの言葉がピタリと当てはまる。
◎乾佛具店 高知市洞ヶ島町四ー十三 TEL〇八八(八七二)〇七二一
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宗教工芸新聞2003年2月号掲載

小社HP
「仏壇店に行ってみよう」
http://www.butsudan.kogeisha.com
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