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先人の残した技術・技法を守り伝える 俵田屋(伊勢) [仏壇店だより]

伊勢神宮内宮は常に参拝客が絶えない。周囲の穏やかな山並みと五十鈴川の流れは人々に心のやすらぎをもたらす。内宮の近所にはおはらい町通りと呼ばれる土産物ストリートがある。取材に訪れたときは夏休みと重なって多くの観光客で賑わっていた。この通りを北にまっすぐ進んで突き当たりにあるのが俵田屋である。この取材に応じてくれたのが同社社長の田中良弘氏、現在三十五歳、将来性豊かな若手経営者である。創業は江戸時代にさかのぼる。創業者は十八代前で茂佐衛門(もざえもん)、職人で木製品を手がけていたという。茂佐衛門という名前は八代前ぐらいまで血縁が世襲しており、その後は俵田屋という名前が使われるようになった。
 神具・祭礼具を本格的に製造するようになったのは明治時代で、良弘氏の祖父、耕一郎氏の代であった。昔気質の職人でのちに伊勢の匠、伊勢の名工と称されるようになったが肩書きや名誉を嫌ったという。当時、約六十名ほどの職人をかかえ、大いに発展した。ちなみに伊勢内宮周辺には御子(おんし)と呼ばれる神楽を奏し、参拝者にお札を売る人々がたくさんいたことも記録に残っている。
 その当時や江戸期につくられた古い神具類が伊勢市内の神宮徴古館に展示されており、昔をしのばせる。良弘氏の先代の作品もあり、貴重な文化財である。良弘氏の父・耕次氏は現在六十八歳、殆ど第一線を退き、仕事から手をひいているが、今回この取材では昔話をたくさん聞かせてくれた。「現在、取扱いの製品は約五百五十点ありますが、製作するにあたっては原型のモデルがあります。またその他、工作に使う道具など先人が遺してくれたものがあり、それなくしては作業になりません」と語る。
 ショールームの裏手は工場になっており、建物の大半は工場と倉庫で占められている。工場は三階建てで二階・三階は組立・彫刻部門、倉庫には茅葺の屋根に用いる茅の材料が積まれており、伊勢市内に植生する野生の茅を伐採したものだという。細かい手作業を何工程もこなし、伊勢地方特有の茅葺の神棚になっていく。一階は製材場、戸外には檜の板材が多数置かれ充分な乾燥を行い、いずれ製品になる日を待つ。
 工場では十六名のスタッフがおりそれぞれ分業制、女性も数名在籍している。年齢層は六十代後半から二十代まで幅広く、息のあったチームワークで高品質の製品を生み出していく。
 茅葺の神殿と並び同社では御霊舎(みたまや)を広くPRしている。いわば神徒壇と同じものだが形状、デザインとも古式ゆかしいスタイル、木曽檜と欅の二種類がある。 
 同社の流通は宮内庁、神宮司丁、神社本庁など神道の主要機関が中心、そのほか各専門業者への卸も承る。
 二十年に一度の遷宮の際は多忙になる。過去、昭和四年に行われた遷宮は最も盛大を極めたとのこと。
◎俵田屋 三重県伊勢市宇治浦田一ー十ー三八 TEL〇五九六(二二)三九〇五 FAX〇五九六(二二)三九〇八
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宗教工芸新聞2003年8月号掲載

小社HP
「仏壇店に行ってみよう」
http://www.butsudan.kogeisha.com
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